悪魔と呼ばれた零戦のパイロット

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8月15日、、終戦記念日です。どれほどの、、、思いがあったのでしょう、、

国のためにと、、これは名誉な事だと、、、今では考えられない、あの時、一人一人の正義があった。

戦場に行く人。見送る人。戦争に関わった人の数だけ物語があったに違いない。

是非また観ていただきたい、おすすめ映画は、”永遠の0”です。

主演:岡田 准一 (宮部 久蔵)  三浦 春馬(佐伯 健太郎)

監督:山崎 貴  原作:百田 尚樹 の同名ベストセラー小説を、2013年12月21日・映画公開され

興行収入87億6000万円の大ヒットとなり、第38回優秀主演男優賞はか8部門を受賞した。

概要

司法試験に落ちて進路に迷う青年・佐伯健太郎。ある日、彼は血縁上の祖父が別にいることを知る。

実の祖父は、太平洋戦争で零戦パイロットとして戦い、終戦直前に特攻出撃により戦死していた。

そこで健太郎は祖父が特攻に志願した理由を調べ始め、やがて彼の最期を知る人物にたどり着く。

かつて、空の悪魔とまで呼ばれた男がいた。その名は、宮部久蔵。

並外れた技術を誇る零戦のパイロットでありながら、彼は『絶対に死なない男』としても知られていた

敵からも恐れられ、味方からは”臆病者”とさえ嘲笑された彼の真実とは、いったい何だったのか、、

映画『永遠の0(ゼロ)』は、そんな謎のパイロットを追う物語。

時代を超えて明かされていくのは、命をかけて”愛”を貫いた、ひとりの男の生き様だった。

物語は、現代の若者・佐伯健太郎が、自分の”血”をたどる旅から始まる。祖父・宮部久蔵のことを

調べるうちに浮かび上がるのは、凄腕の零戦乗りでありながら『死にたくない』と言い続けた異端の

兵士の姿。戦時下において「生き延びること」は卑怯とされる風潮の中、彼は決して命を投げ出さず、

仲間の命までも守ろうとした。なぜ彼は戦場で”悪魔”と恐れられたのか、、なぜ”臆病者””と呼ばれなが

ら、最後には特攻を選んだのか。矛盾に満ちたその人生には、誰も知らなかった深い愛と覚悟が隠され

ていた。

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太平洋戦争末期。勝利目前のアメリカを大混乱に陥れた、一機の戦闘機。”悪魔”と呼ばれたゼロ戦は

米軍最強の空母艦隊による一斉射撃・百万の銃弾をくぐり抜け、包囲網を突破したのだ。

その”悪魔”を操るパイロットが、宮部久蔵だ、操縦技術が優れていたのだ。敵の目には悪魔に映って

いたのだろう。宮部久蔵は生還する事だけを心に決め、、、、周りから臆病者と言われようが、、、

しかし、彼の心は決して悪魔ではなかった。それどころか、彼ほど人の命を尊んだ男は

いなかったのだ。「死にたくない・家族のもとに帰りたい」その一言が、どれほどの重みを持つのか。

それを宮部は、命が簡単に、簡単に消えていく戦場で、何度も証明しようとした。だが時代はそれを

許さなかった。愛する妻と幼い娘を残して戦地に立ち続ける苦しみ。

生き残るたびに仲間が消えていく現実。そして最期に彼が選んだ”特攻”という道。

自らの命をもって、次の世代へと命をつなぐ”橋”になろうとした。

あの時代、戦争に駆り出されたすべての若者たちが持っていた葛藤。その中心に居た宮部久蔵という

男の選択は、現代に生きる私たちに重く響いてくる。彼は”悪魔””なんかじゃなかった。

愛する人を生かすためならと、架け橋になった。

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心の変化

この映画『永遠の0ゼロ』を観るまでは正直、戦争なんて他人事のように思っていました。

しかし、自分が知らないだけで佐伯健太郎だけではなく私たちも、どこかで綱っがててあの戦争で正義

を貫いたご先祖様がいるかもしれないと、、

何れにせよ、私たちの命はあの時代の熱い思いから生かされてるのではないかと、

私は『永遠の0ゼロ』に出会えて良かったと心から思えました。まだ観たことない方も、何度も観た

方も是非、観て欲しいと思います。

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太平洋戦争・アジア太平洋戦争

1941年12月8日から45年8月15日までの日本軍による太平洋、東南アジア地域へ浸出によるアメリカ

イギリス、オランダなど連合軍との戦争。第二次世界大戦の一部であり、日中戦争と合わせてアジア・

太平洋戦争、あるいは満州事変からを含めて十五年戦争ともいう。

第二次世界大戦中の1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃を実行、さらに同日マレー半島上陸作戦を

行って、アメリカ・イギリス・などとの戦争が開始された。日本軍が太平洋・東南アジアで戦争に突入

したのは、日中戦争の行き詰まりを打開し、石油、ゴム、食糧などの資源を獲得する目的からであった

。開戦当初は日本軍は各地で勝利し、シンガポール・フィリピン・インドネシア・ビルマへと占領地を

拡大していった。しかし、戦線の拡大に伴い苦戦に陥った。1942年6月のミッドウェー海戦から制海権

を失った日本軍が次第に後退、アメリカ軍の反撃が進み、44年7月サイパン陥落、45年6月沖縄戦の

敗北、さらに8月の広島長崎への原爆投下によって日本は連合国のポツダム宣言を受け入れ、8月14日

に無条件降伏を決定した。翌1945年8月15日、昭和天皇が自らラジオで国民にポツダム宣言受諾を

発表いた。

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太平洋戦争における日本の被害

軍人・軍属の戦死者約230万人、民間人の死者約80万人、合計約310万人に上ります。

このうち軍人・軍曹の死者の半数以上は、戦闘ではなく餓死や病死によるものでした。また、

本土空襲による被害も甚大で、200以上の都市が被災し、約970万人が被災しました。

広島・長崎原爆投下による死者数、広島で14万人・長崎で約7万人

東京大空襲による死者数、約10万人(一夜で)

           痛みは日本だけではないことも、忘れてはならない。

           次回 真珠湾が舞台の『パールハーバー』を書き留めたいと思います。

kotoha

映画・アニメ・小説。好きなkotohaです。
物語の後の余韻が自分の人生を明るく、前向きにしてくれるような時間を大切に思っています。そんなふうに思ってる方と共感し合えたら幸いです。

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